『八万四千の法門』(はちまんしせんのほうもん)。八万四千は、多数を表(あらわ)す。法門(ほうもん)は、仏の教え、仏教をいう。仏の説いた教え全体をさす。

『八識』(はっしき)。
@眼識(げんしき・色を感じる)。
A耳識(にしき・声を感じる)。
B鼻識(びしき・香りを感じる)。
C舌識(ぜっしき・味を感じる)。
D身識(しんしき・触感を感じる)。
この感覚面(かんかくめん)での五識(ごしき)と、
E意識(いしき・推理・記憶・想像・思考・判断などつかさどる)

F末那識(まなしき)。潜在的、本能的な自我(じが)意識で、意識決定に矛盾(むじゅん)を生ずるような自己を愛する領域(りょういき)の心をいう。
G阿頼耶識(あらやしき)。意識の根底(こんてい)に流れている深層(しんそう)意識で、生命原理(げんり)とも、意識の根源(こんげん)とも、輪廻(りんね)の主体とも考えられている。これを八識(はっしき)という。

『八聖道』(はっしょうどう)。四諦(したい)で説かれる修行方法。
@正見(しょうけん)。正しい見方(みかた)、人生の有(あ)り様(さま)を、神の意志や宿命(しゅくめい)や偶然(ぐうぜん)などと見るのではなく、諸行(しょぎょう)を無常(むじょう)と見(み)、諸法(しょほう)を無我(むが)と見(み)、すべては縁起(えんぎ)の法(ほう)であると見る正しい人生観、正しい世界観のこと。
A正思惟(しょうしい)。正しい考え方、柔和(にゅうわ)な心、慈悲の心、清らかな心で修行するように心がけること。
B正語(しょうご)。正しい言葉の意味。消極的には妄語(もうご)、両舌(りょうぜつ)、悪口(あっく)、綺語(きご)などの邪語(じゃご)を離れることであるが、積極的には他人を正しく教導(きょうどう)し、>他人を称賛(しょうさん)し、誠実(せいじつ)な言葉で他人に接(せっ)し、適切(てきせつ)な言葉を使うことである。
C正業(しょうごう)。正しい行為(こうい)のこと。消極的には殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)などの邪業(じゃごう)を離れること。積極的には、他人の生命を救助(きゅうじょ)したり、人倫(じんりん)道徳を行うことである。
D正命(しょうみょう)。ただしい生活のことで、非宗教的(ひしゅうきょうてき)な生活をしないで在家(ざいけ)の信施(しんせ)をうけて、規則正しい生活をすることをいう。
E正精進(しょうしょうじん)。正しい努力の意味で、已(すで)に生(しょう)じた悪は永(なが)く断(だん)ぜしめ、いまだ生(しょう)じない悪は生(しょう)ぜざらしめ、また已(すで)に生(しょう)じた善(ぜん)は更(さらに増上(ぞうじょう)せしめ、いまだ生(しょう)じない善はこれを生ぜしめんと、常に心にかけて努力することで、これを四正勤(ししょうごん)という。
F正念(しょうねん)。正しい考え方を常に心に留(とど)めておくこと。すなわち正しい憶念(おくねん)「深く心中(しんちゅう)に銘記(めいき)して忘れぬ考え」の意味で、身(み)は不浄(ふじょう)であり、受(じゅ)は>苦であり、心(こころ)は無常(むじょう)であり、法(ほう)は無我(むが)であると観(かん)ずること、これを四念処(しねんじょ)ともいう。
G正定(しょうじょう)。正しい精神統一(せいしんとういつ)のこと。これを八聖道(はっしょうどう)という。

『八面六臂』(はちめんろっぴ)。一人で何人分(なんにんぶん)ものめざましい働(はたら)きをすること。八つの顔と六本の腕(うで)をもつ仏像(ぶつぞう)の姿から生(う)まれた言葉。

『般若』(はんにゃ)
。知恵(ちえ)のこと。