ひ〜ふ

『彼岸』(ひがん)。迷いの此岸(しがん)に対し、さとりの彼の岸(かのきし・彼岸)のこと。春と秋の彼岸会(ひがんえ)は、日本独特の行事で、聖徳太子(しょうとくたいし)の時代から行われているといわれている。

『比丘・比丘尼』(びく・びくに)。出家僧(しゅっけそう)のことで男は比丘(びく)、女は比丘尼(びくに)。

『布施』(ふせ)。他人に物を施(ほどこ)すこと。布(ふ)は心の普(あまねく行きわたること。施(せ)は人に恵(めぐ)むこと。物や金を施(ほどこ)す財施(ざいせ)、信者に仏法(ぶっぽう)を施(ほどこ)す法施(ほうせ)がある。

『ブッダ』。歴史上の仏教の開祖(かいそ)。漢字では仏陀(ぶっだ)。正確には、「ゴ−タマ・ブッダ」という。また釈迦(しゃか)、釈迦牟尼(しゃかむに)、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、釈迦牟尼世尊(しゃ>かむにせそん)、略して釈尊(しゃくそん)ともいう。ゴ−タマとは、「最(もっと)もすぐれた牛」の意味。ブッダとは、「覚者(かくしゃ)。真理をさとった人。仏」という意味である。「仏教」とは、「仏の教え、仏になるための教え」と解釈されることがあるが、「仏陀(ぶっだ)の宗教、仏陀(ぶっだ)によって説(と)かれた宗教」と解釈する方が正確であろう。ブッダの誕生は西紀前(せいきぜん)463年、入滅(にゅうめつ)は同383年(中村元、説)。誕生日は四月八日(一説には二月八日)。父は釈迦族(しゃかぞく)の王、カピラ城主(じょうしゅ)浄飯王(じょうぼんのう)、母は摩耶(マ−ヤ−)夫人。出産のために生家(せいか)へ行く途中のルンビニ−園(ネパ−ル)でブッダを出産。悉達多(シッダ−ルタ・目的を達成するの意)と名づけられた。誕生七日後に夫人(ふじん)亡(な)くなり、摩耶夫人(まやふじん)の妹、摩訶波闍波提(マハ−パジャ−パティ)に愛育(あいいく)される。十六才の時、同じ釈迦族の善覚王(ぜんかくおう)の娘、ヤショ−ダラ−姫と結婚。一子、羅ゴ羅(ラ−フラ)を設(もう)ける。二十九才で出家。出家の動機(どうき)に二説ある。
@四門出遊説(しもんしゅっゆうせつ)。老人、病人、死人、出家修行者を四つの門から出る時、見たからだという説であるが、これは後世(こうせい)の創作(そうさく)の可能性が高い。
A求道説(ぐどうせつ)。「スバッダよ、わたくしは二十九才で善(ぜん)を求めて出家した。スバッダよ。わたくしは出家してから五十年余(よ)となった」と臨終間際(りんじゅうまぎわ)に告白(こくはく)している。当時のインドには、原始唯物論者(げんしゆいぶつろんじゃ)がいた。「この世で切るも殺すも、悪を認めない。」、「地上の生(い)き物すべてを一つの肉団(にくだん)となそうとも、悪の生ずることもなく、悪の報(むく)いの来ることもない」、「世の中には殺す者もなく、殺される者もない。
もしも刀で頭を断(た)つとも、何人(なんびと)も何人(なんびと)の生命を奪(うば)うこともない。ただ七つの集合体(しゅうごうたい)の間(あいだ)を刀が通過(つうか)したに過(す)ぎない。」などと主張する一派(いっぱ)である。若きゴ−タマ・ブッダはこのような頽廃的(たいはいてき)、破壊的(はかいてき)な思想にくみすることはできず、善を求め、道を求>めた。この動機(どうき)の中に、後世(こうせい)仏教が偉大(いだい)な建設的宗教として発展する萌芽(ほうが)がある。この第二の説が真実だと思われる。
妻と子を残し、ある夜半(やはん)、愛馬(あいば)カンタカに乗り、馭者(ぎょしゃ)チャンダカただ一人を従(したが)えてひそかに城を出る。翌朝(よくあさ)、河のほとりで自(みずか)ら剃髪(ていはつ)して沙門(しゃもん)となり、馭者(ぎょしゃ)と馬を城に帰らせる。道を求めて各地に名だたる諸師(しょし)を訪(たず)ねるも満足せず、苦行(くぎょう)に入る。尼連禅河(ナイランジャナ−河・現在のリランジ河)の東岸(とうがん)の樹林(じゅりん)でただ一人苦行(くぎょう)すること六年。肉体を苦しめることによって精神的自由の境地(きょうち)に達しようとするも、逆に肉体を苦しめるのは精神をも苦しめるだけで、苦行(くぎょう)は解脱(げだつ)に達する道でないことを悟(さと)り、苦行を中止した。尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴(もくよく)し、若き娘スジャ−タの捧(ささ)げる乳粥(ちちがゆ)の供養(くよう)を受ける。それからブッダガヤ(仏陀伽耶)へ行き、アシバッタ樹(じゅ)の根もとで座禅(ざぜん)し、七日後ついに悟(さと)りを開いた。以後この樹(き)は菩提樹(ぼだいじゅ)と呼ばれるようになる。その日は十二月八日(一説には二月八日)、ブッダ三十五才。その後、七週間座禅(ざぜん)を続け、悟りの内容を再点検(さいてんけん)し、伝道(でんどう)することを決意(けつい)する。まずベナレス郊外(こうがい)の鹿野苑(ろくやおん・サルナ−ト)で最初の説法(せっぽう)をして五比丘(びく)を教化(きょうけ)、こゝに最初の仏教教団(きょうだん)が成立する。その後、主要(しゅよう)都市を説法教化(せっぽうきょうけ)する旅を続け多くの宗教家や思想家を論破(ろんぱ)して宗教界の第一人者となる。悟りを開いてから数年して故郷(こきょう)のカピラ城へ帰り父王(ふおう)や王妃(おうひ)そして愛児(あいじ)ラ−フラなどと劇的(げきてき)な再会をする。この時、異母弟(いぼてい)の難陀(ナンダ)、実子(じっし)ラ−フラ、従兄弟(いとこ)の阿難(ア−ナンダ)などが弟子(でし)となったといわれる。このように多くの弟子信者を教化(きょうけ)して仏教教団を形成(けいせい)し、四十五年にわたる説法(せっぽう)教化の生活を続け、八十才でクシナガラで頭を北に向け、右脇(みぎわき)を下に横たわり二月十五日入滅(にゅうめつ)した。遺体(いたい)は荼毘(だび)に付(ふ)され、その舎利(しゃり)は八等分(はっとうぶん)され八つの舎利塔(しゃりとう)と、灰塔(はいとう)と瓶塔(びんとう)が建(た)てられたという。この埋葬(まいそうされた遺骨(いこつ)をのちにアショ−カ王が掘り出して八万四千の>ストゥ−パ(塔)に分け納(おさ)めて安置(あんち)したという伝説(でんせつ)がある。

『仏国土』(ぶっこくど)。仏の国。仏に導(みちび)かれる国。われわれの住む娑婆世界(しゃばせかい)は、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の仏国土(ぶっこくど)である。これを広義(こうぎ)に解釈(かいしゃく)すれば、将来(しょうらい)実現するであろうこの地球の理想的な世界といえよう。ブッダは、長阿含経(じょうあごんぎょう)・転輪王修行経(てんりんおうしゅぎょうきょう)・増壱阿含経(ぞういちあごんきょう)の中で、完全な社会、すなわち理想世界を次のように表現している。
@物質が豊富となり、人民の生活が極(きわ)めて容易(ようい)、安楽(あんらく)となる。
A人民(じんみん)は、仏教で説くような高い徳性(とくせい)を保持(ほじ)し、実行するようになる。
B全世界から国境(こっきょう)がなくなり、交通が容易(ようい)となる。
C人々の心が相和(あいわ)し、言語(げんご)も一つとなる。
D金銀や宝石などがそこらへんに散在していても、誰も見向きもしない。(貨幣経済の否定)
このようにブッダは来るべき世界の理想像を示しているのである。特に全世界から国境がなくなり、貨幣経済が消滅する、と説かれ>ているのが注目される。今後、このブッダの思想は全世界から評価され、仏国土(ぶっこくど)、すなわち理想世界建設の参考となるであろう。