『業』(ごう)。カルマともいう。
@なすはたらき。
A人間のなす行為(さんごう)の総称(そうしょう。
B行為の残(のこ)す潜在的(せんざいてき)な余力(よりょく)。業力(ごうりき)のこと。前世(ぜんせ)の業(ごう)によって現世(げんせ)に受ける報(むく)い。ある結果を生(しょう)ずる原因としての行為(こうい)。業因(ごういん)。
C悪業(あくごう)または惑業(わくごう)の意味で、罪をいう。
D清浄(しょうじょう)な経験。
E努力すること。精進(しょうじん)。
F人間的な活動。また、不共業(ふぐうごう)(個人の業)、共業(ぐうごう)(社会的広がりを持つ業。山河(さんが)や海など自然の環境世界に影響をあたえたり、戦争などによる業)など、いろいろ説かれている。

『業感縁起』(ごうかんえんぎ) 。人間の苦楽(くらく)などすべてその人自身のなす行為とその余力(よりょく)すなわち業力(ごうりき)による結果であると考える思想を業感縁起(ごうかんえんぎ)という。

『膏薬(こうやく)と文句(もんく)はどこにでもつけられる』 。膏薬(こうやく)とは、動物の油でねった付(つ)け薬である。その膏薬(こうやく)と文句(もんく)はどこにでもつけられる。ブッダの教えであれ、何であれ、文句をつけようと思えば、つけられることからきた譬え。

『五蘊仮和合』(ごうんけわごう)。 われわれの心身(しんしん)は五蘊(ごうん)である色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)が因縁によって仮(か)りに和合(わごう)して成立していることをいう。

『幸福(観)』(こうふくかん)。 仏教における幸福観(こうふくかん)は、一般社会で求めている幸福とはことなるものである。一般人の求(もと)める幸福とは、権力(けんりょく)・地位(ちい)・財宝(ざいほう)・利益(りえき)・名声(めいせい)・健康(けんこう)・子孫(しそん)・繁栄(はんえい)・長寿(ちょうじゅ)・勝利(しょうり)などをえることである。また、病気・災難(さいなん)・危害(きがい)・苦痛(くつう)・困難(こんなん)などにあわないように祈(いの)ることであろう。しかし、これらを完全に満足(まんぞく)させることは絶対的(ぜったいてき)に不可能(ふかのう)なことであるとブッダは説いている。なぜなら、@求めてもすべて得(え)られることはないという求不得苦(ぐふとっく)A幸せだと思っていても、いつかは必ず壊(こわ)れるという壊苦(えく)。B愛する者との別れは必ずくるという愛別離苦(あいべつりく)。年(とし)老(お)いたくないのに逃(のが)れることはできないという老(ろう)。死にたくないのに死は必ずおとずれる死。これらの四苦八苦(しくはっく)から、何人(なんびと)も逃(のが)れることはできないからである。これらの根拠(こんきょ)は、絶対に変化しないものは何もないという諸法無我(しょほうむが)。だから、すべてのものは変化するという諸行無常(しょぎょうむじょう)だからである。究極(きゅうきょく)の幸福観とすれば、欲望(よくぼう)や邪念(じゃねん)のない仏となる解脱(げだつ)いがいにない、という一点(いってん)に尽(つ)きる。

『五戒』。 在家(ざいけ)の守るべき規律(きりつ)。
@不殺生戒(ふせっしょうかい)人を殺さないこと。殺させないこと。
A不偸盗戒(ふちゅうとうかい)盗まないこと。
B不邪淫戒(ふじゃいんかい)妻または夫以外の異性(いせい)と交(まじ)わらないこと。
C不妄語戒(ふもうごかい)うそをつかないこと。
D不飲酒戒(ふいんじゅかい)酒を飲まないこと。

『五逆罪』(ごぎゃくざい)。 無間地獄(むけんじごく)に堕(お)ちるもっとも重(おも)い逆罪(ぎゃくざい)。
@母を殺すこと。
A父を殺すこと。
B聖者である阿羅漢(あらかん)を殺すこと。
C仏の身体を傷(きず)つけて出血(しゅっけつ)させること。
D教団の和合一致(わごういっち)を破壊し、分裂(ぶんれつ)させること。

『極楽』(ごくらく) 。極楽浄土(ごくらくじょうど)の略(りゃく)。きわめて安楽(あんらく)な場所や境遇(きょうぐう)のこと。

『五根』(ごこん) 。人間の感覚(かんかく)の根(ね)は、
@眼(げん)(見る・色)、
A耳(に)(聞く・声)、
B鼻(び)(臭いをかぐ・香)、
C舌(ぜつ)(味わう・味)
D身(しん)(身体で感じる・触)の五根(ごこん)でなされることをいう。こつの五つの感覚(かんかく)をもとに認識する意(い)を加(くわ)えて六根という。この六根を清めるのを六根清浄(ろっこんしょうじょう)という。