『最澄』(さいちょう)。 伝教大師(でんぎょうだいし)。天台宗(てんだいしゅう)の開祖(かいそ)。神護景雲(しんごけいうん)元年(767)生まれ。弘仁(こうにん)13年(822)六月四日、56才で遷化(せんげ)。

『三身』(さんしん) 。さんじんともいう。仏の三つの身体。
@法身(ほっしん)形を越えた真如(しんにょ)のさとりそのもの。
A報身(ほうしん)菩薩が願と行とに報(むく)われてえる仏心(ぶっしん)。
B応身(おうしん)衆生(しゅじょう)を導(みちび)くために相手に応(おう)じて現(あらわ)れる仏の身体。歴史上の仏陀(ぶっだ)は応身(おうしん)。

『散華』(さんげ)。 花をまいて仏を供養すること。

『三宝』(さんぼう)。 仏(仏陀)・法(仏陀の教え)、僧(修行者の集団)のこと。この三宝に帰依(きえ)することを三帰(さんき)という。

『三法印』(さんぼういん)。法印(ほういん)とは仏教の根本思想の旗印(はたじるし)のこと。
@「諸行無常」(しょぎょうむじょう)。諸行(しょぎょう)とは、諸々(もろもろ)の存在するもの、現象界(げんしょうかい)のすべてのものという意味であって、行(ぎょう)は、行為(こうい)などという意味ではない。無常(むじょう)とは絶(た)えず変化していること。諸行無常(しょぎょうむじょう)とは、動物などの存在するものや自然現象などのすべてのものは何一つ固定的(こていてき)なものはなく、絶(た)えず変化して止(とど)まることがないという意味。
A「諸法無我」(しょほうむが)。諸法(しょほう)とは、諸々(もろもろ)の存在するものゝ意味であって、法(ほう)は法則(ほうそく)などの意味ではない。我(が)とは、永遠に変化することのない絶対的本体(ぜったいてきほんたい)のこと。諸法無我(しょほうむが)とは、すべてのものは因縁(いんねん)によって生(しょう)じるものであって、変化しないものは無(な)いことをいう。
B「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)。涅槃(ねはん)とは、ブッダが証得(しょうとく)した理想の境地。寂静(じゃくじょう)とは、安らぎの世界。涅槃寂静とは、すべての煩悩(ぼんのう)が消え、静かで清らかな境地のことである。これに「一切皆苦」(いっさいかいく)を加(くわ)えて、四法印(しほういん)という。これは人間には根本的欲求(こんぽんてきよっきゅう)があり、何人(なんびと)もその欲求(よっきゅう)を完全に充(み)たせないから苦であると説かれる。

『三昧』(さんまい)。 心を一つのことに集中して、他念(たねん)、動揺(どうよう)がないこと。